もちづき農園の歴史

初代・望月正弘は、昭和32年、高校卒業と同時に就農。

それまでの米麦養蚕の経営体系から、徐々に養蚕を主力として、経営を展開。

 特に40~50歳のころは、生産量上位となり日本の養蚕業を引っ張ってきたひとり。
 その男が、養蚕農家としてのプライドを捨て、1haの桑畑を果樹園に変え、五十の手習いとして、
 果樹栽培に取り組み始めました。
 果樹王国山梨において果樹農家としては、まだまだ、未熟者のほうですが、
 一度は養蚕業を極めた男です。
 そんな男が精一杯つくった果実・果樹です。
果樹栽培を知らないからこそ、いちから、ていねいに、大事に育てた果実です。
 親父から、プライドを持つことと、また、それを捨て去る勇気を教わりました。
 やりだしたら、とことんまでやる。尊敬できる親父が始めた果実生産、その果実をひとつでも多く、 ひとりでも多くの人に食べていただきたい。

 

昭和63年(1988年)より、植え付けた「西洋なしラ・フランス」が、
平成5年(1993年)頃から実を着け始め、丸8年(当初のdionにてHP立ち上げ時2000年で)経過しました。
親戚中に配っただけの平成5年(1993年)。カメムシの大被害にあった平成8年(1996年)。
とても難しい病気である輪紋病の対策がやっと実を結び始めた平成9年(1997年)。
宅配で、お客様がつき始めた平成10年(1998年)。ちょっとした災害を経て、
平成11年(1999年)、
とうとう、観光もぎ取り農園としても、開園することが出来ました。
観光園を開園して、しばらくは父と叔母が中心に運営をしていました。
その後、養蚕業を辞めたと同時に看護師に戻っていた母・文恵も平成17年(2005年)に定年退職し就農。

途中、胡桃・笑、渋柿甲州百目と枯露柿、すもも・貴陽、甘柿・太秋など販売品目を増やしてきました。

 

観光園開園と共に、週末にだけ生産と販売を手伝っていた私・望月孝弘、妻・美由紀も2010年(平成22年)よりそれまでの仕事を辞め、本格就農。2013年(平成25年)より経営の中心を引き継ぎ、今に至ります。
ほかに頼ること無く、家族4人(父・望月正弘・左上、母・文恵・右上、私・孝弘・右下、妻・美由紀・左下)だけで、全ての果実を生産し販売しています。

加工用もすべて、地元食材を活かしたいと考えている地元事業者の方々だけに利用して頂いています。

 

2017年(平成29年)、安定した「全量直売経営」が認められ、第49回山日YBS農業賞チャレンジ賞を受賞しました。